スエズ戦争とは
こんにちは
こんな地味ブログでも安定したアクセスがあるようで...
みなさんありがとうございますm(__)m
ということで(意味不明)
誰得なのかわからない法学系のネタでいくつか文章を書いていきます。
今回はスエズ戦争について
スエズ戦争とは第二次中東戦争ともいいまして、一言で説明してしまうと、
イスラエル、イギリス、フランスの三国がエジプトを相手取って、
スエズ運河を巡って起こした戦争のことです。
ことの始まりはエジプト大統領ガマール・アブド=ナーセルによる、
スエズ運河国有化宣言です。
この国有化宣言は、イギリスには衝撃でした。
というもの、同運河を通過する船舶の4分の3はNATO加盟国であり、
その3分の1はイギリスの船だったのです。
それに加え、英国はスエズ運河会社の大株主であり、
利権が失われることを恐れました。
時の英国首相イーデンは、ナセールを危険な独裁者だとみなし、
交渉に耳を貸す可能性は低いと考えていました。
イギリス政府は、スエズ運河を国際管理下に置くことを究極目標としつつ、
必要であればイギリス単独でエジプトに対し武力行使をしようと判断しました。
しかし、イギリスと協力関係にあったアメリカは、これに賛成しませんでした。
米国アイゼンハワー政権は、中近東や北アフリカの国々が西側陣営から離れ、
共産圏に堕ちるリスクを重く見たから。
また、米国は自身が所有するパナマ運河にこの問題が飛び火することを恐れ、
乗り気ではなかったという事情もあります。
アメリカはエジプトを世界から孤立させることにより、
世論という「道徳的な圧力」をナセールにかけることで
十分だと考えていたようです。
これは、上記のイーデンのスタンスとは異なるものでした。
こうした認識のズレがあったため、米英間での外交交渉が難航します。
進展しない交渉にいらだちを強めた英国政府は、アメリカと協議することなく、
同じくスエズ運河会社の株主であったフランスとともに安保理に委ねます。
これがきっかけで、いったんは交渉による平和的解決を目指すことになりました。
しかし、フランスからイーデン政権に対して、
スエズ運河の占領計画を持ち掛けられることで、事態は大きく変わります。
イスラエルをも巻き込んだ、この提案にイーデン自信が受け入れを決め、
三国間で協議が重ねられました。
そして、武力行使が開始されます。
英仏軍のポートサイドの支配により戦闘は終了し、
武力攻撃そのものは三国の勝利となりました。
しかし、この武力行使は国内外から批判されました。
特にアメリカからの非難は、イーデン政権にとって文字通り致命的でした。
国際的な地位の低下およびポンドの大幅な値下がり、
つまり通貨危機をもたらしたからです。
結局、アメリカ及びIMFによる金融支援と引き換えに、
イギリス政府はスエズ運河から撤退しました。
参考文献
アンソニー・イーデン、湯浅義正・町野武訳『イーデン回顧録Ⅱ 運命のめぐりあい1955~1957』(みすず書房、1960年)。
小川浩之「『豊かな時代』と保守党政権の盛衰-イーデン・マクミラン・ダグラス=ヒューム政権 一九五五~六四年-」(梅川正美ら編『イギリス現代政治史』ミネルヴァ書房、2010年)。