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フォークランド戦争とは

こんにちは

前回はスエズ戦争を扱いましたので、今回はフォークランド戦争について。

「扱いました”ので”」と書いたのは理由があります。

どちらもWW2後に、イギリスが行った戦争です。

なので比較しようというわけです(比較は次のエントリーでやります)。

以下フォークランド戦争の説明。

 

 

フォークランド戦争とは、フォークランド諸島の領有を巡り、

イギリスとアルゼンチン間でおきた戦争です。

フォークランド諸島とはアルゼンチン沖にある島々です。

ここはイギリスの植民地でしたが、

古くからアルゼンチンも領有権を主張していました。

 

1982年3月下旬、アルゼンチンは軍事行動を開始します。

その結果、フォークランド諸島はたやすく占領されました。

米国国務長官のヘイグが調停に乗り出しますが、

当時のイギリス首相サッチャーの目には、

それがアルゼンチン側の時間稼ぎに見えたようです。

サッチャーはヘンリー・リーチ提督の進言もあり、軍の派遣を決断しました。

サッチャー武力行使も辞さないというアピールをしつつも、

裏ではアメリカやヨーロッパ諸国、国連

外交的解決のための働きかけを行います。

特に、サッチャー政権のメンバーは

アメリカの支持を得ることが重要だと強く認識していました。

これのもとになったのは、

米国の協力を引き出せず、国際的に孤立したスエズ戦争

二の舞にならないようにという思いでした。

また、アメリカならばアルゼンチンが耳を傾ける可能性があると、

サッチャーは考えていたこともあります。

 

そのアメリカですが、始めからイギリスを支持していたわけではありません。

ラテンアメリカへの影響力拡大を考えていたので、

合衆国大統領のレーガンサッチャーに妥協するように勧めました。

レーガンの姿勢は、当然といえば当然です。

というもの、

フォークランド諸島はイギリス本土から離れ、植民地であることが明白であり、

「アルゼンチンに主権を認めつつ、実質的な統治を行う案(リースバック)」が

外務省や一部の政治家から支持されていたということが英国内であったのです。

 

なんとかアメリカを自陣営に引き入れたいサッチャー

ヘイグと頻繁に意見交換を行い、

レーガンが英国支持に傾くように進言してもらうように努めました。

そういったイギリス政府の働きが実を結び、

レーガンや仏大統領ミッテランの支持を取り付けることができました。

これにより安保理にて、

アルゼンチンの侵略を非難し、無条件で即時撤退を求める決議(決議502)

が成立しました。

このように外交的アプローチを重ねることにより、

サッチャー政権は軍事行動をとった場合でも国際的に非難されないような

環境を整えていきました。

そしてついに、イギリス軍が行動を起こします。

イギリス軍は軍艦シェフィールドなどを失いながらも、

アルゼンチン軍に打撃を与えました。

安保理で停戦決議が採決されたこともありましたが、

英米が拒否権を使用したため、外交的解決にはなりませんでした。

結局この戦いはイギリス軍の勝利に終わり、

フォークランド諸島を取り戻すことができました。

 

 

参考文献

小川晃一『サッチャー主義』(木鐸社、2005年)。

梅川正美ら編、前掲書、169ページ。

マーガレット・サッチャー、石塚雅彦訳『サッチャー回顧録』上 普及版 (日本経済新聞社、1996年)。