あーるlog

私の日々のログ

冬の支度

こんばんは

 

 

季節の変わり目というのは、例えば衣替えや毛布を出すといった、

次の季節への"支度"というものがあります。

 

今回のお話もそんな次の季節への支度のことです。

 

 

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はい

トルクレンチ買いました。

東日製作所 QL140N-MH です。

(公式ウェブサイト)

 

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冬といえば雪、雪といえばスタッドレス

スタッドレスタイヤ装着のために買いました。

 

KTCのトルクレンチと迷ったのですが、職場で使い慣れているので東日に。

あと持ち手がゴムよりメタルの方がかっこいいですしお寿司。

 

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とりあえずこの素人感丸出しのシールをはがします。

実際には素人なんですが(汗)。

 

余談ですが、プロの方ほどトルクを二回連続でかけるという、

間違った使い方をしているように感じます。

(かつてなんで二回かけるんですかと聞いたところ、

どうしても癖でやってしまうとのこと)

 

 

久しぶりのブログ更新でまとまらない文章になってしまったため、

このあたりでお終いにしようと思います。

ではでは

 

あいさつ

イベント続きでろくに更新できてないですが、みなさんお元気でしょうか。

 

今年の振り返りをしましょうか。

やるべきことを消化しつつも、楽しいことができ、

今年は結構いい年でした。

中でも、サーキットにこれだけ行けたのは、ほんとによかったです。

 

・今年のサーキット観戦歴

3月 ファン感(鈴鹿)、SGTテスト(富士)

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SGTテスト(富士)

4月 2&4(鈴鹿)

7月 8耐(鈴鹿)

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8耐(鈴鹿)

8月 鈴鹿1000km(鈴鹿)

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鈴鹿1000km(鈴鹿)

10月 WTCC(もてぎ)

11月 MFJ最終戦(鈴鹿)、SoE(鈴鹿)、ニスモフェスティバル(富士)

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MFJ最終戦(鈴鹿)

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SoE(鈴鹿)

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ニスモフェスティバル(富士)

その他 東京モーターショー

 

ただ現地観戦して興奮を肌で感じるだけでなく、

オタクの方々とエンカしてわちゃわちゃできたり、

(購入した一眼で)写真撮影にいそしんだりと色々遊べました。

オタク各位、ありがとうございました。

 

年始にたてた目標もなんとか達成できたと思います。

 

 

今年のことはこれくらいにして、来年のことに話題を移しましょうか。

今週のお題「2018年の抱負」

詳しくは話しませんが、生活がガラッと変わるので、それに順応したいですね。

あ、新生活のスタートは万全に、確実にきめたいです。

 

そんな感じで来年もよろしくお願いします。

ではよいお年をお過ごしください。

 

スエズ戦争とフォークランド戦争 まとめ

前回、前々回の総括として、スエズ戦争フォークランド戦争

2つを比較しましょう。

 

 

どちらの戦争ともアメリカの関与の仕方がキー・ポイントでした。

しかし、その関与の仕方(英視点からすると関与のさせ方)は正反対です。

 

スエズ戦争

イーデン政権時はまだ大英帝国の記憶が残っていて、

米政権の影響力を軽視していたのに対して、

フォークランド戦争

サッチャースエズ戦争を十分に教訓化して、

米政権との連携を必須に考えていました。

 

 

スエズ戦争を一言でいうと、イギリス外交の失敗でした。

イーデンはアメリカとの関係を軽視し協力を引き出せなかったのです。

その当時、経済的、軍事的に頼っていたにも関わらず。

アメリカから武力行使を非難され、

ポンドを多量に売られ、通貨危機に陥りました。

そしてそのアメリカから金融支援を受けるべく撤退しました。

このことはかつて大英帝国がいた地位に

アメリカが就いたことを明確に示しました。

イーデンの外交政策アメリカとの関係を軽視したり、

事前に武力行使を非難されない環境を作らなかったりと、

各地に植民地を持ち、世界の大国であった

大英帝国的思考に基づいているともいえるでしょう。

 

スエズ戦争をイギリス外交の失敗とするなら、

フォークランド戦争はイギリスにとって勝利であり成功でしょう。

サッチャー政権は国際舞台でしたたかな立ち回りを見せ、

しっかりと味方を作ってから軍事行動に移りました。

これらの行動は、

覇権国であるアメリカ抜きではどうしようもないという現実と

スエズ戦争でのイーデン政権の失敗

を受け止めた結果の、最善策だったのです。

 

 

さて、以上で3編にわたる本テーマは終了です。

できる限り量を減らしましたが、それでも長編になってしまいました。

お付き合いありがとうございました。

 

 

フォークランド戦争とは

こんにちは

前回はスエズ戦争を扱いましたので、今回はフォークランド戦争について。

「扱いました”ので”」と書いたのは理由があります。

どちらもWW2後に、イギリスが行った戦争です。

なので比較しようというわけです(比較は次のエントリーでやります)。

以下フォークランド戦争の説明。

 

 

フォークランド戦争とは、フォークランド諸島の領有を巡り、

イギリスとアルゼンチン間でおきた戦争です。

フォークランド諸島とはアルゼンチン沖にある島々です。

ここはイギリスの植民地でしたが、

古くからアルゼンチンも領有権を主張していました。

 

1982年3月下旬、アルゼンチンは軍事行動を開始します。

その結果、フォークランド諸島はたやすく占領されました。

米国国務長官のヘイグが調停に乗り出しますが、

当時のイギリス首相サッチャーの目には、

それがアルゼンチン側の時間稼ぎに見えたようです。

サッチャーはヘンリー・リーチ提督の進言もあり、軍の派遣を決断しました。

サッチャー武力行使も辞さないというアピールをしつつも、

裏ではアメリカやヨーロッパ諸国、国連

外交的解決のための働きかけを行います。

特に、サッチャー政権のメンバーは

アメリカの支持を得ることが重要だと強く認識していました。

これのもとになったのは、

米国の協力を引き出せず、国際的に孤立したスエズ戦争

二の舞にならないようにという思いでした。

また、アメリカならばアルゼンチンが耳を傾ける可能性があると、

サッチャーは考えていたこともあります。

 

そのアメリカですが、始めからイギリスを支持していたわけではありません。

ラテンアメリカへの影響力拡大を考えていたので、

合衆国大統領のレーガンサッチャーに妥協するように勧めました。

レーガンの姿勢は、当然といえば当然です。

というもの、

フォークランド諸島はイギリス本土から離れ、植民地であることが明白であり、

「アルゼンチンに主権を認めつつ、実質的な統治を行う案(リースバック)」が

外務省や一部の政治家から支持されていたということが英国内であったのです。

 

なんとかアメリカを自陣営に引き入れたいサッチャー

ヘイグと頻繁に意見交換を行い、

レーガンが英国支持に傾くように進言してもらうように努めました。

そういったイギリス政府の働きが実を結び、

レーガンや仏大統領ミッテランの支持を取り付けることができました。

これにより安保理にて、

アルゼンチンの侵略を非難し、無条件で即時撤退を求める決議(決議502)

が成立しました。

このように外交的アプローチを重ねることにより、

サッチャー政権は軍事行動をとった場合でも国際的に非難されないような

環境を整えていきました。

そしてついに、イギリス軍が行動を起こします。

イギリス軍は軍艦シェフィールドなどを失いながらも、

アルゼンチン軍に打撃を与えました。

安保理で停戦決議が採決されたこともありましたが、

英米が拒否権を使用したため、外交的解決にはなりませんでした。

結局この戦いはイギリス軍の勝利に終わり、

フォークランド諸島を取り戻すことができました。

 

 

参考文献

小川晃一『サッチャー主義』(木鐸社、2005年)。

梅川正美ら編、前掲書、169ページ。

マーガレット・サッチャー、石塚雅彦訳『サッチャー回顧録』上 普及版 (日本経済新聞社、1996年)。

スエズ戦争とは

こんにちは

こんな地味ブログでも安定したアクセスがあるようで...

みなさんありがとうございますm(__)m

ということで(意味不明)

誰得なのかわからない法学系のネタでいくつか文章を書いていきます。

今回はスエズ戦争について

 

 

スエズ戦争とは第二次中東戦争ともいいまして、一言で説明してしまうと、

イスラエルイギリスフランスの三国がエジプトを相手取って、

スエズ運河を巡って起こした戦争のことです。

 

ことの始まりはエジプト大統領ガマール・アブド=ナーセルによる、

スエズ運河国有化宣言です。

この国有化宣言は、イギリスには衝撃でした。

というもの、同運河を通過する船舶の4分の3はNATO加盟国であり、

その3分の1はイギリスの船だったのです。

それに加え、英国はスエズ運河会社の大株主であり、

利権が失われることを恐れました。

時の英国首相イーデンは、ナセールを危険な独裁者だとみなし、

交渉に耳を貸す可能性は低いと考えていました。

イギリス政府は、スエズ運河を国際管理下に置くことを究極目標としつつ、

必要であればイギリス単独でエジプトに対し武力行使をしようと判断しました。

 

しかし、イギリスと協力関係にあったアメリカは、これに賛成しませんでした。

米国アイゼンハワー政権は、中近東や北アフリカの国々が西側陣営から離れ、

共産圏に堕ちるリスクを重く見たから。

また、米国は自身が所有するパナマ運河にこの問題が飛び火することを恐れ、

乗り気ではなかったという事情もあります。

アメリカはエジプトを世界から孤立させることにより、

世論という「道徳的な圧力」をナセールにかけることで

十分だと考えていたようです。

これは、上記のイーデンのスタンスとは異なるものでした。

こうした認識のズレがあったため、米英間での外交交渉が難航します。

 

進展しない交渉にいらだちを強めた英国政府は、アメリカと協議することなく、

同じくスエズ運河会社の株主であったフランスとともに安保理に委ねます。

これがきっかけで、いったんは交渉による平和的解決を目指すことになりました。

しかし、フランスからイーデン政権に対して、

スエズ運河の占領計画を持ち掛けられることで、事態は大きく変わります。

イスラエルをも巻き込んだ、この提案にイーデン自信が受け入れを決め、

三国間で協議が重ねられました。

 

そして、武力行使が開始されます。

英仏軍のポートサイドの支配により戦闘は終了し、

武力攻撃そのものは三国の勝利となりました。

 

しかし、この武力行使は国内外から批判されました。

特にアメリカからの非難は、イーデン政権にとって文字通り致命的でした。

 

国際的な地位の低下およびポンドの大幅な値下がり、

つまり通貨危機をもたらしたからです。

結局、アメリカ及びIMFによる金融支援と引き換えに、

イギリス政府はスエズ運河から撤退しました。

 

 

参考文献

アンソニー・イーデン、湯浅義正・町野武訳『イーデン回顧録Ⅱ 運命のめぐりあい1955~1957』(みすず書房、1960年)。

小川浩之「『豊かな時代』と保守党政権の盛衰-イーデン・マクミラン・ダグラス=ヒューム政権 一九五五~六四年-」(梅川正美ら編『イギリス現代政治史』ミネルヴァ書房、2010年)。

喫茶去←これどう読むの?

こんにちは

岐阜県に、それも高山市に行く機会がありまして…

 

高山市といえば、アニメ化されたこともある、小説『氷菓』の舞台ですね。

(私が知っているのはTVアニメのみなのですが)

ということで聖地巡礼です。

といっても、今回は時間がなかったので一か所だけ...

 

喫茶去かつて

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アニメ第十話で、折木奉太郎と入須冬美の話し合いがされた場所「喫茶一二三」

モデルになったところです。

入り口もそうですが、お店は適度に古風な雰囲気があり、ハイカラでした。

 

入須先輩よろしく抹茶を、そしてわらびもちを頂きました。

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少し苦味のある抹茶、なめらかなわらびもち

おいしゅございました(小並感)。

 

他にもお店を回り、お土産を購入

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クリアファイルを。

 

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舞台探訪マップなるものも手に入れたので、

またこの地を訪れたときも聖地巡礼しやすいというものです!(^^)!

 

 

今回、初めて訪れた岐阜県高山市

まぁ田舎なわけですが、都市部は

(京都に住んでいる私がいうのもなんですが)

趣深くていいところだと思いました。

京都は観光客が多いのでごちゃごちゃしすぎです。

今回は時間がなかったので、また今度ゆっくりまわってみたいものです。

バグパイプにも行きたいですしお寿司

今回はこのあたりで筆をおきます。では

 

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「喫茶去」は「きっさこ」と読むそうです。

ヘルメット洗ったお

夏ですね。

というわけで、ヘルメットの手入れです。

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自分が使っているのはアライヘルメット

アストロ・プロシェード・コマンド(ブラック)です。

(どうでもいい話ですが、しばらく見ないうちに

素人が作った感満載だったアライのウェブページがリニューアルされていて、

びっくりしました。)

 

アストロなので、頬っぺたで支えている感がなんとも心地いいです。

またプロシェードなので、まぶしい時から暗い時まで問題なく使えます。

ただ、スモークシールドはレバー等での操作ではなく、

手で直接上げ下げをしなければならないのが、少し不便です。

アライと双璧をなす日本メーカーのショウエイは、

レバーで操作するインナーバイザーを採用しているので

アライのプロシェードより楽です。

他にも、直にシールドをヘルメットに装着できたり、

マルケスを起用し空力開発をしたりなど、

機能性はショウエイの方が若干上なのではないかと思います。

バイク用品店で比べてみてもそんな感じがします。

ただまぁ、前に書きましたが、ショウエイのヘルメットは自分に合わないのです...

アライの内装が使えるならショウエイを被れるのですが(#ない)

 

話が逸れました。

本題です。

今回はシステムパッド(チークパッド)を外しました。

こんな感じ

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外すのに大したコツはいりません。

後方に引き抜くのみです。

 

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パッドのカバーを外しました。

カバーは洗濯ネットに入れて洗濯機で洗いました。

このシステムパッド自体は洗えません。

 

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こちらは内装。

これも洗濯機にいれるわけにはいかず、除菌・消臭スプレーを吹いておきました。

次回は手洗いをするつもりです。

 

 

シールドも洗って、最後にこれらの取り付けですが、

システムパッドの取り付けに苦戦しました。

ポイントは、後ろの方から入れて、グイッと押し込むことです。
 
こういった手入れは、これからもこまめにしていきたいものです。
今回はここまで