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思想家 トクヴィルについて 下

おはようございます。

前々回、前回に続き、トクヴィルの紹介です。

 

 

前回のエントリーでは出版の自由を例に、

民主制における自由というもののプラスの側面を

トクヴィル流に解釈したものを、(さらにそれを自分流に理解したものを)

説明しました。

ですが、前々回の導入部分で述べた通り、

彼はマイナスの面も指摘しており、いわばそれこそが彼の真骨頂と言えるでしょう。

 

自由には民主制を不安定化させる可能性を孕んでいるとしています。

というのも、それまでの君主制とは違い、

国民の上に立つ者、つまり人民の代表は選挙によって決めることになります。

この選挙というものが曲者です。

選挙というものは、多数の意見が尊重されるシステムですね。

故に、社会の多数派が世論や選挙によって政治を支配されることになります。

このように一色のものに支配されるということは、

多数の暴政」につながり、専制を引き起こす可能性があると彼は指摘しています。

ちなみに「多数の暴政」というワード、

トクヴィルを語るうえで欠かせないものです。

 

しかし、彼は「多数の暴政」に対しての対処策も述べています。

それは「アソシエーション」、つまり「結社」のことです。

アメリカではある地域での問題はその住民による協議会で解決をしたそうですが、

そうした組織をつくりだす”習慣”というものがあったとしています。

市民は一人一人の力は社会全体からすると弱いものでありますが、

市民がそれぞれ団体を組織するとどうでしょうか?

それらの団体はある程度の力を社会に発揮することが考えられます。

そうすると「多数の暴政」にブレーキをかけることができます。

 

ざっくりとトクヴィルの主張を説明できたところで

ここからは自分からの批判です。

 

まず、アソシエーションを組織しないことは必ずしも悪いことではないのですよ。

フランス革命では教会やギルドなどの

社会集団が解体等の手段で弱体化されましたが,

そのことは、市場を活性化させ、経済の発展につながったという側面があります。

また、ある程度の規模の集団が力を持つということは

国家に対しての影響力も大きくなり、

「集団の暴政」という危険性もあるのではないでしょうか。

 

 

この3回で見てきたように、トクヴィルは思想家であると同時に、

比較政治学者の草分け的な存在でもあります。

彼は同時代の理想主義的な思想家とは違い、

比較という論理的な手法を用いて社会の様子を解明しようと試みました。

トクヴィルという人は比較的マイナーな人物でありますが、

このことはもっと評価されるべきだと思います。

 

参考文献

クラウス・オッフェ著, 野口雅弘訳 (2009)

『アメリカの省察 トクヴィルウェーバーアドルノ法政大学出版局